☆ 創 論 ☆
~国家論~


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〇国家とは、何か。

 私の考える国家とは、発行通貨経済圏のことである。
 国家政府が発行管理する通貨を強制力をもって流通させ、支配する領域がある時、そこには国家があることになるからである。
 通貨が流通し、安定的に通用する場合、そこには、通貨流通を可能とする諸々の組織、強制力、要素が存在しなければならない。それらの要素が存在して、通貨が安定的に流通している社会の領域が、国家と認識される、と考える。

 つまり、国家と通貨とは、不可分なもの、と考える。
 一国にとって、通貨とは、国家の支配の現れ、なのである。
 言い換えれば、国家とは、通貨である、となる。

 従って、通貨の国際的価値は、国家の経済力と比例する。
 一国の通貨の国際的価値が落ちる時、それは、その国の経済力が落ちているから、そうなるのだ、と考える。




〇国家財政とは、何か。

 国家財政とは、国家全体の経済運営のことなのか、それとも、政権政府の財務状態のことなのか。
 どちらであるかは、それが、どういう文脈で使われているかによる。

〇国家財政の収支の均衡はとられるべきものなのか。

 収入と支出は均衡すべきだという根拠はなんなのか。

 由来が全く別のものである歳入と歳出が均衡すべきだというのは、根拠がないのでないか。

 考えるに、それは、歳出が歳入の範囲内に収められれば、赤字が発生しないというだけだ。それぞれ由来が別物であるのに、歳出は歳入額に制限されなければならないということになるのか。通貨は国家が用意するもの、国家には通貨発行権があるのだから、足りなければ、発行して補うことになんの不都合もない。
 通貨は国家が用意して、国民に提供する。だが、国民は通貨を富と看做して、貯蓄する。貯蓄すると、通貨は、市場での流通量が減り、経済活動の手段としての機能を落とすのである。だが、保証する担保としての機能を果たすものとなる。その機能を大いに発揮させたいと望む人は、できるだけ貯蓄しようとする。そういう人が多ければ多いほど、貯蓄額が増えれば増えるほど、使われる通貨量が減ることになる。その現象に対応して、通貨を適切な量、あるいは、潤沢な量、補うのでなければ、国家の経済活動量は、通貨が少なくなることで、縮小を余儀なくされてしまう。それを避けるには、貯蓄額が増えれば増えるほど、今では、様々な金融商品が開発されている今では、金融市場に流入する通貨量が増えれば増えるほど、発行量を増やして、金融市場ではない市場、流通市場での通貨の使用量、流動量が減らないようにしなければならない。そうしなければ、流通市場での通貨使用量の減少を招き、流通市場の経済規模の停滞、縮小を余儀なくされることになる。つまり、デフレ。
 では、いかにして、通貨の供給をするのが、効果的なのか。
 端的に言えば、ベーシックインカムを導入するのが、一番効果的である。



〇国家の責任と義務。

 国家には、国民の生命、財産、人権の保障の他、社会生活の保全、改良、営繕の全体的な責任と義務がある、と考える。






人間について


社会について


断 章


随 想



~人間について~

1 新 思 想



2 新しい思考の展開



3 人間の基本の考察


3-1 人権とは何か


3-2 少年性と少女性




~社会について~

1.社会の形成

2.経済社会の誕生

3.通貨の誕生


© Makino Takaaki