創論
☆ 創 論 ☆
〇人間について
~ 3 人間の基本の考察 ~
3-1 人権とは何か


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〇 1.基本

 生きている人間にとって、基本とは何か。

 それは、「命」である。

 命こそが、生きている人間にとって欠かすことのできない要素だからである。

 「基本は、命である。」

 生きている人間にとって、基本とは、命である。そして、命は何によるかと言えば、それは、肉体なのである。

 命の宿る肉体こそが、基礎、基本となる。

 一人ひとりの人間に宿る命、そして、その命の宿る肉体が、基礎、基本なのである。



〇 2.命

 命が、基本であり、命の宿る肉体が、基礎である。

 では、その命とは、何か。

 命とは、欲求、欲望である。

 誕生した命は、欲求、欲望の塊である。
 なぜならば、命とは、さまざまなものを取り入れては、エネルギーを生産、消費していく代謝活動だからである。

 命は、エネルギーを生産し、自らの生命活動を維持するために、さまざまなものを取り入れようとする。
 それが、欲求、欲望の始まりである。

 「命とは、欲望である。」

 命とは、欲望である。ゆえに、生きている人間にとっても、基本とは、欲望である、と言い換えることができることになる。



〇 3.欲望

 「生きている人間にとって、基本とは、命であり、欲望である。」

 では、欲望は、生きている人間にとって、基本であるから、すべて肯定される、ということになるだろうか。
 また、すべての人間は、すべての人間の欲望を、お互いに認め合わなければならない、ということになるだろうか。

 ここに、「複数の人間の存在」という要素が関わってくるのである。

 この世に、自分ひとりしか存在しないのであれば、自分の欲望を基本として、その欲望をすべて認め、叶えるべく行動することに何の支障もない。

 だが、自分ひとりで生まれ育ったという人間がどこに存在しているだろうか。
 自分ひとりしか存在していないという世界は、現実の世界ではない。
 現実の世界は、複数の人間の存在で成り立っている。

 すべての存在は、それ自身から生ずることはできない。必ず他から生ずるのである。

 人間は、ふた親から生まれてくる。
 その時から、既に人間は複数存在している。



〇 4.複数の人間の存在

 「生きている人間にとって、基本とは、命、欲望である。」と言った時の「生きている人間」とは、複数の人間の存在である。

 複数の人間の存在とは、何か。

 複数の人間の存在とは、集団であり、社会である。

 だが、集団とか、社会とかと考える前に、「生きている人間にとって、基本とは、命、欲望である」を複数化することである。

 すなわち、欲望が多人数分存在するということである。
 一人の人間の中に、欲望はいくつもある。そのいくつもある欲望の多人数分の存在を考えるのである。
 すると、そこに多人数に共通する欲望と、共通しない欲望とを認めることができる。

 「基本とは、不可欠なもの、共通するもの」という言語的定義に従えば、どうなるか。
 すなわち、「複数の生きている人間にとって、基本とは、不可欠な、共通する欲望である」ということになる。



〇 5.共通する欲望

 共通する欲望とは、何か。

 複数の生きている人間に共通する欲望とは何か、と考える時、その複数とは、どれだけの数の複数なのであろうか。それを限りあるものと考えることに意味があるだろうか。
 限りがあるとするならば、それは、特定の集団ということになる。
 特定の集団ということになれば、それは特定の誰彼ということになる。
 いま、誰彼の区別なく適用される基本を考える時に、特定の誰彼を考えることは妥当ではない。

 特定の誰彼のことを考えるのは、妥当ではないということは、不特定の多数の人間というものを考えるということである。

 不特定の多数の人間とは、すなわち、万人ということである。


万人に共通する欲望


 万人に共通する欲望とは、何か。

 万人の欲求、欲望のうち、これは人類共通のものだと万人が認める、と考えられるもの。
 それは、すなわち、誰彼の個人的な要素を取り去った万人に共通する要素から生じてくる。
 すなわち、共通の、であり、肉体であり、意識である。

 共通の命の欲望とは、生きたいという欲望である。

 共通の肉体の欲望とは、生活の欲望である。

 共通の意識の欲望とは、主体であるということから生じる欲望である。

 万人に共通する欲望とは、万人に共通すると認められる、命の欲望であり、肉体の欲望であり、意識の欲望である。

 こういう万人に共通する欲望は、共通するがゆえに、お互いに認め合わなければ、平穏に存立することはできない。

 自分の欲望だけを主張し、他の欲望を否定するならば、闘争に明け暮れることになる。
 他を尊重しなければ、自分も尊重されないということになる。

 お互いに認める、尊重し合うということは、自他ともに、正当だ、妥当だとする、ということである。

 その欲求、欲望は、正当だ、妥当だと認める。

 それを、権利というのである。

 すなわち、権利とは、共通するがゆえに、お互いに認め合う欲望のことである。
 言い換えると、権利とは、公認された欲望、正当であると認められる欲望のことである。

 権利とは公認された欲望であるということを、万人に共通する欲望に適用すると、どうなるか。

 すなわち、万人に共通する欲望とは、万人に共通すると認められる、命の欲望であり、肉体の欲望であり、意識の欲望である。
 それは、万人に共通すると認められることによって、お互いに正当だと認め合うから、万人の権利となる、ということになる。

 共通するから、お互いに正当だと認め合うという欲望を、基本的な人の権利、人権というのである。

 万人に共通し、お互いに正当だと認め合う欲望を、「人権」というのである。

 人権とは、万人に共通すると認められる欲望である。





〇 6.人権


一 生命権

 生きたいという欲望から、生命権は生じてくる。
 従って、生命権とは、命を奪われない権利である。
 命を保つ権利である。
 健康を得たい、保ちたいという欲望も含まれる。
 生まれたから、生きたいという生きる権利と、だが、その一方で、生きているから、死にたいという死ぬ権利もあるだろう。



二 自由権

 自分のことは、自分で決めたい、自由に行動したいという欲望から、自由権は生じてくる。
 自由権とは、個人の行動の主体は、その個人であることから生まれる意識の権利である。
 自己決定権、自由裁量権である。
 従って、責任は、その個人にあるということになる。



三 財産権

 自分のものを持ちたいという欲望から、財産権は生じてくる。
 従って、財産権とは、財産を持ち、奪われない権利である。
 財産を保つ権利である。
 財産処分の権利である。
 財産の増加を図る権利であり、財産を使用する権利である。



四 生活権

 快適な生活を送りたいという欲望から、生活権は生じてくる。
 生活権とは、命を保ち、さらに、人間らしい生活を営む権利である。
 健康で快適な生活、自己の好む生活を求める権利。
 また、社会的生活を営む権利である。



五 社会権

 みんなと生活したい、集団の一員でありたいという欲望から、社会権は生じてくる。
 社会権とは、社会を形成する権利、社会に参加する権利である。
 社会に参加する権利とは、社会で働く権利でもある。

 また、社会で不当な扱いを受けない権利でもある。
 人は社会で公平、公正な扱いを受けたいと望む。
 従って、プライバシーや名誉などの権利はこの中に含まれる。



六 政治権

 統治したいという欲望、自分の所属する社会のことは、自分たちで決めたいという欲望から、政治権は生じてくる。
 政治権とは、自分の属する社会の政治に関わる権利である。
 自治権である。
 すべての人間には、政治に参加する権利と義務がある。



七 幸福追求権

 以上の権利は、幸福の実現のためにあると言うことができる。
 幸福の実現を求めるという欲望から、幸福追求権が生じてくる。

 幸福の内容は人それぞれではあっても、幸福を実現したいという欲望は共通する。

 幸福の追求という概要は共通するものである。
 他人の人権を侵害しない限りにおいて、幸福の追及の権利は万人に認められる権利である。



八 人権の平等

 人権は、命に由来するのであるから、人権は、すべての人間に生来的に備わっているということである。
 ということは、すべての人間に平等にあるということである。
 人権は、万人に平等に認め合わなければならないもの、ということである。

 しかし、人権の侵害がやまない。

 それは、欲望のぶつかり合いだ。なんらかの欲望が関わっている。それが、ある人間の人権を無視し否定するという行動となる。

 特に、権力を有する側が、平等の人権を認めると損失が生じると考えている場合に、人権の侵害が多く発生する。

 権力による人権の侵害が認められる場合には、人権の闘いが必要になる。





1 新 思 想



2 新しい思考の展開



3 人間の基本の考察


3-1 人権とは何か


3-2 少年性と少女性



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